万博スタッフは五年分の始末書を印刷しておけ
日立製作所の重弘亀三専務はこういって
スタッフを前ににハッパをかけた。

勇み足で何枚を何枚も書くぐらいの
覚悟がないといいものはできないと
いうわけだ。

また違う役員はこういった。

観客数は延べ140万人が限度。
建築費20億円だから
ひとりあたり1400円かける勘定。
万博の入場料が800円でも日立館を
見るだけで600円のおつりがきます。と

日立館は建設場所が決まると会場で
最大のエスカレーターを設置し
それを導線上に向けた。

西口から入った入場者は
木曜広場に入ったとたん
日立館のエスカレーターが
まず目に入るのだった。


当時はまだスピードに対してロマンの
あった時代だった。

日本館には実現間じかと時速500kmの
リニアモーターカーが展示されていたし
大阪梅田の阪急電車の構内には
動く歩道が設置され世界一早足の
大阪人の移動スピード記録を
更新していた。

また万国博でも動く歩道の
採用が決定されていた。

しかも情報は どんどんと入ってくる。

三菱特設館(当時の仮称)は350mの塔が
建設不可となったためエレベーターの
デモンストレーションができなくなった。
そのかわり自身の展示館において
トラベータなる移動施設を採用するらしい・・・

東芝は展示室全体をエレベータのように
持ち上げるらしい。

三井も大型のジャッキで観客を
自由自在に動かすらしい・・・

日立も二階建てのエレベータと会場内で
最長のエスカレーターを採用することにした。

このねらいは見事に的中した。
どの雑誌にも このエスカレーターを
俯瞰でとらえた写真が採用された。

会場に来た外国人からも絶賛された。

他のグループ企業は一社でも多く参加を
つどったが日立は逆にグループ80数社の
中から5社を厳選した。

そして模擬操縦ができる。 これも多いに
観客のハートを掴む事に成功した。

当時の学習雑誌をはじめ少年誌や
漫画雑誌も数多くとりあげた。

中には宇宙旅行の様子を
掲載するものもあった。

会場一のエスカレータ 
二階建てのエレベータ
そしてシュミレータ 
しかしまだ日立には隠し玉があった。
それが世界で初めてのレーザー光線を
使った大型テレビだった。

これには 先に展示として
12mx15mの大型テレビを
出展すると表明していた
松下館のスタッフを
驚かせたでしょうね。

それでは初期検討案を
見てみましょう。

これは万国博辞典に
掲載されていたもので
昭和43年ごろの物です。

建物の形状以外は
かなり完成したものに
近くなっています。
西口方面からみると真っ赤な
日立グループ館が見えます。
上空から見ると
さらによくわかります。
階段を降りるとすぐそこに
日立のパビリオンが・・・
すばらしい演出ですね。
三角形の土地を実に
効果的に使っています。
大頭人がでできても
不自然じゃないですね。
紅白の幕が見えます。
何かの式典だったのでしょうか
工事中だとまんま円盤ですね。
みどり館の側からみると
こうなります。
工事中のようですが
天井が大き
く写っているのは
今のところ
このショットだけです。
:ゲートの向こうに日立館が
見えますね。
地上に降りた赤い円盤

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